1980年

私は暑いからと下船せず小鉄が
一人で島の探索をしたのを思い出した。

ホテルまでロバで運搬

イドラ島の港

三島一日クルーズ

・ピレウス港

1980年40歳・筆者

アテネ・ピレウス港

島へは自動車・バイクの乗り入れを禁止
(ゴミ清掃車のみ)
交通手段は徒歩かロバかボートタクシー。
 
石畳のデコボコ道はわずか数分の宿まで
思うようにトランクを運べない、
(もちろん迎えなんかおまへん)
仕方なくロバで運んでもらった。

トランク2ケ・ロバ2頭で
15ユーロ(2000円)はエエ値段でっせ

18~19世紀には海上貿易で
巨万の富を築いた大邸宅が丘の上に聳え建つ

中世の面影を色濃く残し、
カラフルな家々が路地を曲がると
飛び込んでくるオシャレな島。

イタリア様式の荘重な建物は
18世紀の落し物である。

島の土地は痩せて農業には向かない。

建物は岩盤の上に建てられていて
島中が岩だらけである。

三つの島の中で一番人気の
「イドラ島」も
二人ともほとんど記憶に留めていない。

港に近づくと円形型に広がる可愛い家々が、
我々を歓迎しているように建っている。

荒涼とした山肌とは対象的で優雅な港の風景は、
ギリシャ絵画のようで期待で胸が膨らむ。

ギリシャの海の玄関口、
ピレウス港は国際的なクルーズ船や定期船(フェリー)
高速船の発着でひしめき合っている。

サロニコス諸島のエギナ島・ポロス島・イドラ島の
一日クルーズ
は日本人に大変人気が高い。

各島での滞在は1~2時間でサッと来てサーッと、
風を切るように引き上げる。 

そのクルーズの旅を昔、偶然にも経験している。

イドラの造船は地中海全域に広がり
貨物の運送だけでなく海運と貿易に手を広げた

当時の地中海には海賊・嵐・戦争と
色々なリスクがつきものだったが
既に船の共同所有権を有し
資本組合を組織するほどの経営手腕であった

1821年の独立戦争は
イドラ島出身者が大いに貢献したと
歴史博物館にその後が残っている

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ピレウス港ーイドラ港

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