ユジノサハリンスクの駅前広場の夜
ユジノサハリンスクの駅前広場の朝
雪国のスライドショー
宿泊先のユーラシアホテル
駅前広場の朝と夜
ティモフスクの空港
千歳のサハリン航空のカウンター
雪の公園を散歩する小鉄
雪の公園のベンチに佇むアベック
雷鳥の剥製
館内を見学する小鉄
かっては国境に置かれていた日本国の石碑
館内に展示されているアイヌの衣装
クマの剥製と筆者
サハリン州立郷土誌博物館
日本時代は樺太庁博物館
街の壁のモザイク
ユジノ・サハリンスクの駅前前広場
ロシアとサハリン島旗
札幌からは僅か一時間
サハリン航空もプロペラ機か
らボーイングになった
テェックインも済まし通関手続きで
一時間も待たされたあげく
本日「機体不整備」に付き欠航
今回のサハリン島の旅は小久保壮(東京38)さん
アラスカの知人の紹介で冬のサハリン島の旅へ…。
何で又冬に?…と首を傾げていた理由が分かった。
世界の極地旅行の経験者であり,
極地取材のサポートをして15年
チョモランマ(8848m)へ登山
第41次南極観測隊調査チームにも
参加している強い味方と一緒だ
彼の次の計画はは冬のサハリンの1100kmを走破である
こんな冒険家と一緒じゃ体が持つかいな!
指定の千歳駅のホテルへ
夜の10時にチェックイン
係員の対応の悪さにクレームをつけたが
多数の乗客の意見でもあり
夕食と朝食を希望した条件は
全て了解されたが機内食の
「サンドィッチ」を夕食に配られた。
しょぼくれた部屋で朝を迎える。
島の北端から南端までの天然ガスの輸送工事は
約三分の一が出来上がっているのも
この目で確かめた
天然ガスの液化事業が進み
日本の大手商社も数多く進出している
町は毛皮のコートのファションショ-
雪道でもハイヒールのブーツに毛皮の帽子
スタイルも良く美人が多い
見とれていると雪道に足が取られそう
当時,国境に置かれていた石碑は
郷土史博物館に静かに展示され,ている
町外れにある共同墓地には
日本人や朝鮮人が眠っている
地下資源が確認されてからは
目覚しい開発が進み物価と貨幣価値が上昇
モスクワから9000kmも離れている
サハリン(1875年)は“最果て”の
島として
囚人流刑の地獄の島であった
州都ユジノ・サハリンスクは
日露戦争(1905年)の結果
北緯50度以南は日本国「豊原」となり
樺太庁が置かれていた
1945年8月ソ連が対日参戦し
南樺太はソ連に併合された
日本の最北端宗谷岬から50km
晴れた日には肉眼でも島が見える
数百年前より日本人とロシア人の
両国民が暮らしていた
私の父親が世界大戦中に樺太に
駐留していたこともあり
,一度は訪れたいと思っていた
現在ではロシア領土となっているが
当時は樺太と呼ばれていた日本の島。
地球の島めぐりの50島目の
記念の島として訪れた
やっと一日遅れでサハリン空港へ到着
小鉄と共にマイナス30度までの
防寒靴を着用しているので
マイナス5度ではたいした事はおまへん
最初はサハリンの旅だけは不参加と
渋っていた女房を何とか口説き落としての同行
女性はトイレ事情の悪いところは特に敬遠する
現地のトイレ事情はそう悪くはないが
外出先では雪を掘ってのインスタントトイレを使用
空港からは30分で無事
ホテル「ユーラシア」へとチェックイン
プロローグ