寝袋で寝る筆者
小久保氏
ニコライ宅の道路の整備
ニコライ・小鉄・奥さんのガリーナ・筆者
ニコライ宅のトイレは庭の奥にある
町は毛皮のファションショー
ハンティングの練習をする筆者
筆者とニコライ・野犬の毛皮はとても暖かい
今夜の夕食
ブルーベリー夏の分を年中保存
鴨とジャガイモのスープ「シェルパ」
ニコライの奥さんガリーナさん
サハリンのビール
サウナ上りにウオッカをストレートで・・・
ニコライ宅のサウナ・熱湯と水を混ぜて頭から被る
ニコライ宅
さぁ!引き返すか?
トラクターの運転手が除雪作業の終わりを告げる
素晴らしい雪景色
この先どうするかドライバー同士が話し合う
除雪車は日本車
時々車から下車してワイパーなどのテェック
ニコライ宅
愛車の運転席
ニコライの家の近く
クリックするとスライドショー
ティモフスクから
ロシア美人は背が高く腰が締まり色白である
その上ミンクの毛皮が良く似合う
雪国の足元はハイヒールに皮のブーツ
毛皮の「ファッションショー」を
ボーと見とれて鼻の下が伸びる
飲むほどに小久保さんのトイレの回数が増える
30m先の掘っ立て小屋の
トイレ「入口には5ルーブル」と張り紙
孫がジョ-クで書いたとか…
「鴨の味はどう?」私は笑って
少し首をかしげた
ロシア料理は全般に油濃い料理が多い
ご飯の上にもバターを落として
食べる週間がある
この寒さじゃ当然の食生活だ
ダイエットなんて考えていたら
生きていけまへんで…
汗を流した後に飲むサハリンビールの味
喉を擦って胃袋へと滑る落ちる
暫く目を瞑って「ハラショ」
(ロシア語でよい)
ロシアビールには度の強い
ビールがあるのも忘れ
調子を上げ過ぎた もう顔は真っ赤…
夜汽車の疲れも手伝い
ほろ酔い加減のサハリンの夜
今夜のロシア料理は「シュルパ」
(鴨とジャガイモのスープ)
サハリン産のウオッカと度の強いビール
夕食前には手作りのサウナも出来上がった
5~6人は入れる「なかなかのサウナ」
雪の中のサウナは初めての体験
足湯にすると汗の出も早い
熱湯と水とで敵温水を作り頭から浴びる
「う~ん!気持ちがいい」熱くなったら
雪の中で身体を冷やす「今夜は最高」
旅はハプニングがいい
ホカホカと身体の芯から温もり
シャツ一枚で小鉄と交代
湯上りの小鉄はピカピカのホッペが光っている
今夜のご馳走は「サウナ」に勝るものはなし
二つ返事で今夜はニコライ宅を提案
「サウナは好きか?」もちろん大好き
引き返す悪路は気にならなかった
今夜はウオッカとサハリンビールで
“乾杯”といくか
何度目かで奥さんのガリーナさん(55)と
携帯電話が通じ,急な来客を告げた
サハリンでの携帯電話の普及率はまだまだ……
申し分のない天候だが積雪は1m以上ある
除雪車と行き交うが車体には
「KOMATU」とこれまた日本製
これ以上先へ進むのは無理と
他の車の運転手たちと相談しているところへ
除雪作業はここでストップと冷たい通告
私は内心ホッとした
これ以上は腰が持つかと案じていた
雪道は意外とクッションが悪い
時々ガタンと腰に来る
外はマイナス15度 降りしきる雪にワイパーも氷結
時々車を止めてワイパーの手入れが必要
自慢の「ガズー69型」のジープは
1953年のソ連製,そのエンジンは強い
「エッ!エンジンは日本製」
修理は全て自分でやってしまう
日本性のエンジンである事に愛車を自慢
10月から5月までは雪の道路
2日前は猛吹雪であった…と心配そう
NPO法人EWS(東京)の協力で集めた古着を
ニコライ氏のジープで
ティモフスクからビアトフ村まで
雪道を160km(約6時間)運ぶ
少数民族の「エベンキ」「ニブヒ」の
民家と公共の建物以外は何もない
待っているのは氷結した「間宮海峡」ぐらい…
小久保さんは2003年の12月に
一人でこの間宮海峡横断(100km)を走破。
夕食の宴は盛り上がり話が弾む
冬のマイナスの世界に来る人は誰もいない
「貴方たちは寒いのが好きか?」
ニコライ氏は「次は夏に来て下さい」と
早口のロシア語で捲し立てる
幸せなサハリンの夜は初めて寝る「寝袋」の中で爆睡
幻のビアフトゥ村へ