日本の島再発見 鷹島_長崎県 02月27日(水) (P080,081)
- 2008年2月27日(水) 14:00 JST
- 投稿者: tetujin60
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離島60めぐり---第32訪島(3)
鷹島(たかしま)
●長崎県 700年以上も前、この島にはフビライによる蒙古軍が2度(1274、81年)にわたって襲ってきた。
世にいう「元冦の役」である。
「元寇の役」の碑
その1度目の時に生き残った島民はわずか2名。
それから7年後に2度目の来襲。
この時は4400隻の船で14万の大軍の襲来。
だが、たまたま日本にやってきた大暴風雨(台風)によって大部分の船が沈没。
蒙古軍は壊滅状態になり、ほうほうの体で逃げて行った。
“神風”が吹いたといわれている。
『歴史民族資料館』には、そのときの遺物が海底から発掘されて展示されていた。
中には一つ数百万円もする食器も保存されている。
資料館の係・山下さんが実に丁寧、親切に説明してくれた。
偶然、この日は東京から劇団が公演にやってきていて『武士(もののふ)の旗』(作・演出=岡部耕大)を上演。
良い機会なので私も観劇した。
あいさつにたった町長さんは「東京では5千円するが、島では無料」文化的な意味を強調して胸をはっていた。
鷹島(たかしま)
●長崎県 700年以上も前、この島にはフビライによる蒙古軍が2度(1274、81年)にわたって襲ってきた。
世にいう「元冦の役」である。
「元寇の役」の碑
その1度目の時に生き残った島民はわずか2名。
それから7年後に2度目の来襲。
この時は4400隻の船で14万の大軍の襲来。
だが、たまたま日本にやってきた大暴風雨(台風)によって大部分の船が沈没。
蒙古軍は壊滅状態になり、ほうほうの体で逃げて行った。
“神風”が吹いたといわれている。
『歴史民族資料館』には、そのときの遺物が海底から発掘されて展示されていた。
中には一つ数百万円もする食器も保存されている。
資料館の係・山下さんが実に丁寧、親切に説明してくれた。
偶然、この日は東京から劇団が公演にやってきていて『武士(もののふ)の旗』(作・演出=岡部耕大)を上演。
良い機会なので私も観劇した。
あいさつにたった町長さんは「東京では5千円するが、島では無料」文化的な意味を強調して胸をはっていた。