ヴァヌアツ共和国 タンナ島とは
- 2007年8月31日(金) 15:15 JST
- 投稿者: tetujin60
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2024年12月22日(日) 11:08 JST
ホテルのプール
ヴアぬアツの貨幣
ホワイトグラスの野生の馬
コテージの前の海
宿泊したコテージ
ホワイトオーシャンリゾートのフロント
ヴァヌアツエアーライン
タンナ島上空
宿泊は
「ホワイトグラス・オーシャン・リゾート」
空港からわずか5分,
石灰岩の海岸の上に建つ洒落た
12棟のコテージ。
心地よい海風が通り過ぎていく…。
村々は昔ながらの習慣に守られ,
村への出入りは勝手には許されない。
パプアニューギニアでも
同じような経験をしている
訪れた7月~8月にかけては
うだるような暑い日本とは逆に
南半球は冬の季節である。
湿度も低く降り立った空港は
Tシャツ姿では肌寒いぐらい快適である
「わぁ~涼しいなぁ~」
「ココは最高やなぁ」
南太平洋に浮かぶ島々は
日本人にはまだあまり知られていない
メラネシアンの伝統文化を営み
今も自給自足の生活の中に暮らしている
ヤスール山(361m)は世界の中でも
「火口に一番近づける」
…とのキャッチフレーズに
私の好奇心が顔を覗かせた。
是非この目で確かめてみよう
すぐ目の前の丘「ホワイトグラス」(地名)には
野生の馬が駆け回っているのでこの宿を選んだ
室内はエアコンも無いが過ごし易そうである。
冬とは言え蚊取り線香は必需品
すぐにお世話になった
どんな出会いがあるのかワクワクと血が騒いでいる。
プロロ-グ
冷たい顔で待っていたカレー
暗闇の中を行く観光客
帰り道のガイドの明かり
火口を見下ろす小鉄
小爆発を起すやスール山の火口
初日はこの上に登る
8合目の郵便ポスト
こぶし大の石がごろごろ
8合目まで登る4WD
ヤスール山の麓から頂上を覗く小鉄
野菜売り場
記念撮影に群がる子供たち
村のサッカーの試合カー
ヤスール山
風向きが変わり灰の洗礼を受ける
目も開けていられない
火山灰がべっとりと汗ばんだ肌に
まとわり付く
カメラカバーを取り出すと
またまたガスでお先真っ暗。
下山の足元さえ見えないほど危険を感じ
他の観光客は早々に下山
ココまで来て残念だが諦めて降りるか。
懐中電灯まで忘れてくる段取りの悪さ
ガイドに借用した明かりを頼りに
恐る恐ると足を運ぶ。
太陽が山の裏側に隠れ始める頃にやっと到着
「ズッズッドーン」と音はするが火柱は上がらない
数分に一度,小さな火柱が上がるが暗闇で三脚を立て
カメラのセットアップに時間がかかる
おまけに下は砂地である
カメラを調節していると「ズッズッズ~ン」
真っ赤な溶岩が噴き上がるがもうひとつ迫力に欠ける
これじゃ天神祭りの花火の方が音はデッカイなぁ…。
とぼやく二人
途中何度も休憩,
これ位の山と思って日ごろ足腰を鍛えてはいたが
体力の衰えを年々感じる
小鉄は三脚を持ち涼しい顔で前を行く
突然「ドッカ~ン」
と腹の底まで響き渡るような爆発音
「もうすぐ火口が見える頂上だ」
気持ちが焦るが汗が目に沁みる
四輪駆動のトヨタ車は威力を発揮して浅瀬を渡り
山を管理している村の入口でストップ
入山料は2500vtを支払い8合目位まで車で登る。
そこからは徒歩「エッ!ココ登るんかいな」
重いカメラバックを背負い
火山灰の砂の上を登る。
一歩一歩踏みしめないと危ない
ツアー客は5人,
横乗りに座らされた我々は悪路にうんざり
年を取るとお尻の肉も落ち
クッションがより一層悪く感じるのは
車のせいばかりではない
火山の麓は黒灰色の砂の道,
こぶしより大きな石がゴロゴロしている
毎年1月~2月だけは溶岩が降るので
入山は禁止である。
過去には溶岩に当たり死者も出ているとか……
とにかく危険だ。
屋台の前には人の山,子供たちは
恐れながら近づいてくるが
デジタルカメラで写した写真を見せると
今度はワッと押し寄せ記念写真となる
同乗者のオーストラリア人夫婦が
揚げパンらしき品を購入
約40円は物価の高い島では頷けるが
食す度胸に感心する
兎に角旅先では食べ物には気をつけている。
頂上まで登るトレッキングツアーに参加。
途中サッカーの試合が行われている村で下車
何処からこんなに人が集まるのか山の中
に人込みが出来ている
この辺までは電気が来ているのか
電線が目につく,
ガイド無しでは下山も出来ない
気分もがっくりと暗闇の中を。
午後8時にたどり着いたホテルのレストラン
予約しておいたビーフカレーは
待ちくたびれて冷たい顔をしていた。
自然の驚異は簡単にその素顔は見せてくれない。
本日は踏んだり蹴ったり…でした
活火山の火口を見下ろす
ヤスール山
デビッドと筆者〔カババー〕にて
帰りにいっぱい飲む「カババー」
アツ! 温泉に手をつける筆者
湧き出る温泉
温泉の川
温泉に手を付ける子供たち
川で水浴びをする村人
ヤスール山
レンタカーを助ける我が車
デビットの赤ちゃん
デビットの息子デルト君(2)
道路を歩く豚
デビットの奥さん
デビットの家
温泉に向かう村の子供と小鉄
熱い川をすばやく渡り手足を洗って
キャッキャッと,はしゃいでいる
村ではお湯に浸かる習慣は無く
,お湯を持って帰って料理に使うらしい
お湯で身体を洗う事などめったに無い子供たち
久しぶりの温泉旅行に
,ほのぼのとしたものを感じる
この下へ降りろと…。
そこには川が湯煙を上げて流れている
「これが温泉か?」手を付けてみると「アツイ」
70℃位はあるだろうか?
それでも子供たちは次々と手を入れて嬉しそう
川原には建物らしきものは何も無い
ここでは入浴は出来そうも無い
もう一本向こうの川が適温らしい
ヤスール山の麓をもうスピードで走る
快調,快調,浅瀬を渡りブッシュの中を行く
ジャングル・アドベンチャーは牧場の門を開いて
勝手知った他人の村へ
村の中では案内人が先導し,車を誘導する。
やっと着いた温泉場?
我々に向かって「ヘルプ」と
,私は「デビット助けてやろう」
早速ロープを取り出し我々の車に取り付ける
手を泥に染めながら協力を惜しまない人たち
さすが4WDのエンジンは強い
アッと言う間に空転していた車輪も脱出できた
フランス人の親子連れが握手を求め
「メルシー」と嬉しそう
道中は何が飛び出すか解らない
牛・ヤギ・子豚・ニワトリ
馬・鳥が行く手を遮る
今度は道の中央に大勢の人だかり
原因はすぐに解った
レンタカーがぬかるみに車輪を取られている
これじゃにっちもさっちもどっちも行けない
助手席に息子の
デルト君(2歳)が乗り込んできた
トラックの荷台にはいつの間にやら
村の子供たちが4人も便乗している
温泉と聞いてニコニコとはしゃいでピクニック気分
悪路の山道はぬかるみが多く熟練運転手でも
4段切り替え二段ミッションのギアを扱うのは難しい
「温泉」と聞いて
「子供を連れて行ってもいいか?」…と
デビットから質問「OK」
彼の家は道中の道の外れの村
二人目の妻は昼過ぎから
小麦粉を練って夕食の準備
煙る小屋の中には
生まれて一ヶ月の赤ん坊までいる8人家族
タンナ島で温泉?
もちろん火山が噴火しているのだから
温泉ぐらいあるだろうと地図を探してみたら
東の端に温泉マークがあった。
ヤスール山のまだ東の方である
ドライバーは隣のホテルの
「デビット」(42),
小柄だが厳しい顔つきのタンナ人である
とにかく大きな声でよくしゃべる
見るだけの温泉もまた楽しい
それでも入浴料は500VT(400円)
手を付けただけの温泉も初めての体験
4WDの荷台からは道行く人に
歓声を上げて手を振っている
素朴な人柄と民族の習慣も
少しずつ文明社会の足跡が聞こえる
温泉ピクニック
裸族の村の案内人
テェック・ポロ
カメラカバンを何も言わずには込んでくれる優しさ
裸族の子供
イパイカスタムビレッジの踊り
見事な火起し
私たちは快適だが寒そうである
カートンケースゲーム
ペニスサックの男たちと筆者
裸族の村の子供たち
メラネシアン料理の実演
テェック・ポロの奥さんと息子さん
クリックするとスライドショウ
これだけ習得すれば
この村で自給自足出来るかも…。
メインイベントは老若男女
子供に赤ちゃんまで参加の踊り
素朴であるが皆楽しんでいる
大地を踏み鳴らし土煙を上げ…踊る
声を張り上げ走り回る
親しみのある視線に人間同士の情を感じる
手で矢を飛ばすカートンケースと言うゲームや
弓矢にチャレンジしてみたが
思うようには的に当たってくれない
木を擦って火を起す技術はたいしたもの
木の棒で板に擦り付けると煙が出てくる
細かい木屑から藁へと移し風を送ると
メラメラと炎が燃え上がる
見事なものである
村は4つの村で構成され
400人の村人が生活している
案内人の「テェック・ポロ」(27)
の父親がこの村の長である
ココナツとタピオカを
バナナの葉に包んだ蒸し焼きや
ココナツの実とヤム芋を
葉に包んでサラダ風に食べる
観光客は手を出すが私たちは
長旅の為全て遠慮している
もうひとつの村イパイカスタムビレッジ
ツアーで村を訪れる場合は料金が含まれているが
個人で訪れる場合は村の入口で案内人を呼ぶ
ホラ貝を吹き鳴らすと村の奥から走ってやって来る
なかなか風流で,なんだか忍者村のようだ
案内人は英語とフランス語を話す好青年
140人の村族の長老は109歳
天気の悪い日は寝ていると
会う事が出来なかったのは残念だ
昔この村で日本人の写真家が
3ヶ月も生活したと聞かされている
村の生活を共にし
「カバ」を飲みメラネシアン文化を
激写したに違いない
私には到底マネはできまへん
メラネシア人の昔からの習慣と
伝統の踊りを見せてくれた
タロ&ヤムの収穫の踊りから始まり
「TANES TENS」のさよならの踊りまで…。
プリンプリンのお尻を
躍動させながら精力的に飛び跳ねる
この島の代表的なヤーケルビレッジは
腰ミノとペニスサックひとつの
裸族の村である
「観光用」ではと思って小屋を覗いてみると
皆ペニスサックひとつで生活している
7月で平均気温20度は私等には快適であるが
彼等には少し寒いらしい
大きな木の下にドネィション(寄付)と
書かれた小箱が遠慮がちに置かれている
案内人に聞いても気持ちだけ…と
教えてくれない奥ゆかしさ
観光だけではない伝統の踊りに
ルファブック(ありがとう)
腰ミノとペニスサックで暮す
裸族の村
夕方6時ごろ
明るいうちはマグマはあまり見えず音だけ
ヤスール山の火口
山の麓は溶岩の上を歩く
8合目の郵便ポスト
ヤスール山の麓でひと休み
流れ出る溶岩
ヤスール山(361m)
噴火のスライドショウ
f噴火を見る小鉄〔左〕
地球の脅威はちっぽけな人間なんて, ひと飲みにされてしまいそう
火口から吹きあげられた真っ赤な溶岩は岩肌にいつまでもへばり付いている
何万年の歳月を経て現代社会を作り,超高層ビルが立ち並んでいるが
世界中で大規模地震が発生している新潟地震・ペルー地震・サント沖合い
などで被害が続出している
予告もなしに「ズッズッドド~ン」腹の底まで応える爆発音
策も何も無い,落ちたら一巻の終り
全ては自己責任,日本では立入り禁止区域の札が立つのは間違いないだろう
ガイド達は後ろの岩陰で寒さを凌いでいる
「ダッダッダドカ~ン」噴煙と共に吹き上がる真っ赤なマグマ
大昔は海底火山の噴火でこの島も出来たのだろう
突然「ドッカ~ン」と地響きと共に噴火する
夕方でもその規模の大きさは迫力満点
今日は常に小さな火柱が噴出しているあれが地球のマグマだ
カメラは噴煙と蒸気でべっとり
6時過ぎにはあたり一面暗闇の世界
火口を覗くと吸い込まれそうだそれでも後ろ足に体重をかけ火口を覗き
今か今かとドキドキする
前回とは違うコース(風向きによって毎日変わる)
平らな道は歩きやすく,汗どころか強風で寒いぐらいだ
火口を見下ろす踊り場は足元も非常に良い余裕で時間を持て余す
初めての時と違い周囲をじっくり見学できる
それにしても凄い所やなぁ
温泉へも同じ道を通るので要領は解っている
チャーターしたはずの車の荷台には他の客が乗っている
まぁ島ではこんなもんですわ
遅目の出発で5時頃に到着した「さぁ登るぞ!」と入れ込みも激しい
今日はショートパンツにデジカメ一台の軽装
足元も軽く同じ道を登っていくと「右・右」とガイドから指示がとぶ
ヤスール山の噴火の写真をオーストラリア人から自慢される
こんなすごい噴火が見られるならもう一度行って見たくなった
小鉄はなかなか首を縦には振らなかったが強引に付き合わせたが…。
未舗装のデコボコ道もこれで三回目
再チャレンジ
今,目の前でマグマが噴き上がっているがいつ大惨事が起こるとも限らない.
久しぶりに鳥肌が立つくらい感動した...二回もチャレンジした甲斐は十分にあった
世界で一番活火山の火口に近づける,ド迫力満点の絶景は鉄人の超おすすめどころ
(2回目の)入場料が半額で良心的であるのも嬉しい
車のエンジンの音に驚いて逃げる野生の馬
「ホワイトグラス」とは洒落た地名。
別に白い草が自生しているのではない
「いた・いた」10頭20頭
勇壮な野生の馬の集団スタイルも艶もいい
エンジンの音に驚いて逃げる馬たち,
野生の馬は颯爽と逞しい
動物はやはり自然のままがいい
島の北部に位置する草原地帯,「ホワイトグラス」
18世紀に持ち込まれた馬が野生化し50~60頭住み付いている
宿泊のホテルから道を挟んだ斜面を登るとあるが行って見ると馬は影も形も見えない
朝日や夕日に輝いた勇壮な姿を思い浮かべ捜索する
広大なエリアは徒歩では無理と判断し車で草原へと踏み入る
ホワイトグラス
野生の馬と出会える
草原に降り立つと虫や蚊の攻撃を受ける
まるで馬たちの守備隊だ
車の荷台に仁王立ちに立ちシャターチャンスを狙うが
なぜか馬の尻ばっかり…。
めったに見られない野生馬に出会えただけでも幸運だ
競走馬のサラブレッドより血統が良く見える
イパイビレッジの青年たちと記念写真の小鉄
村の赤ちゃん
ビールを注ぐと真っ白い泡が立ち生ビールに変身
ヤシのカップ
温泉で子供たちと
裸族のおっさん
村のオバちゃん
現地のビール
カババーのマスター
カババーで毎晩いっぱいやるドライバーの
裸族の親子
ヤスール山の噴火を目の当たりにする
自生するバナナ
ヤンゴーナの根っこ
裸族の子供と小鉄
2007年7月28日~31日
旅の鉄人 池内嘉正
生まれて間もない乳飲み子が
夕食の藁の煙る中入るのを見てビックリし
明るい笑顔の中に家族を思い,
子を愛し村中が助け合って生きる
人間本来の姿はここにはある
生まれたままの姿から衣服をまとった方が
文明人なのか裸のままで十分楽しく
暮らせる人間もいる
島の姿がいいのか…旅の徒然…であった
自然の貯蔵庫には年中在庫を切らすことは無い
夢のような飲み物は4~5杯飲めば
日本人なら足腰が立たなくなる
高級なワインの贅沢な味と土臭いカバとは
どちらに軍杯が上がるとも言えない
カバの容器でビールを飲めば
クリーミーな泡立ちになり
生ビールに変化する優れもの
アルコールが無くてもヤンゴーナの根っこで夢心地
ココヤシのカップ一杯100vtの「カババー」は
男たちの天国
暗闇の中小さな裸電球が目印
薄暗い藁葺きの中には従業員が3~4人もいる
草むらの中には3人4人とお客がフラ付いて気持ちよさそう
カバの材料はヤンゴーナと言うコショウ科の木
挿し木にすれば三年で大きくなる
優しい笑顔の裸族の村を訪れ
昔ながらの暮らしに驚いた
活火山の噴火を目の当たりにし
地球の息吹を感じ生きている姿を見た
自然に自生するタロイモやバナナに豊富な果物
果物屋に行かなくても捥ぎたての
完熟フルーツは年中手に入る
自給自足でも我々より体格がいい
小鉄のひと言
自然の驚異をヤスール山の火口に見せ付けられた
ホワイトグラスの草原の中に凛々しい野生の馬に出会えたことが大きく印象に残っている
エピローグ
::プロフィール
●1939年生・大阪出身。ゴルフジャーナリスト JGJA会員
●1966年 世界一周60日間 市場調査と営業に出張
ゴルフ歴62年
●2014年6月 右足人工股関節手術後エージシュートにチャレンジ
●2016年8月12日エージシュート達成 術後763日目
ゴルフ場 北海道 グレート旭川カントリー倶楽部
スコア74(37・37)・年齢76歳と327日・2024年現在に至る
●2014年8月より5月―10月旭川へ移住
●1997年会社経営を社員に継承 パームスプリングスへゴルフ留学 2ヶ月で挫折
●1999年に日本の島60島取材
●2000年日本の島再発見出版 日本作家協会会員
●2002年北極点踏破 日本旅のペンクラブ会員
日本旅行写真家協会正会員
●2003年―2009年 地球の島巡り70島踏破(旅は全て夫婦同伴)
●2009年12月16日 南極点踏破
●2010年 地球の島巡り出版
●2015年5月よりトリプルレジデンス継続中5月中〜10月中(東神楽居住)
1月中〜2月末(沖縄・石垣島居住)年末年始・春・秋(大阪現住所に居住)
●2022年 離島の食を求め ご島地グルメの取材開始(一島目 島根県隠岐の島)
●2023年 株式会社アイナック創業49年 取締役会長に再就任 生涯現役を目標
●2024年現在ご島地グルメ挑戦中(離島の旬の食を求め取材旅行)
一般社団法人 離島振興地方創生協会 賛助会員・NPO法人大阪USクラブ会員
現在、
フリーの経営カウンセラー。
2000年「哀愁フェリー」、2006年「佐渡航路」で日本有線大賞有線音楽賞を受賞。
2008年 悪性リンパ腫を発症。復帰後は悪性リンパ腫の啓蒙の「ライムグリーン・リボン」支援活動を始め、現在も続けている。2013年 キルギス共和国22周年独立記念コンサートで観客約5万人を前に「風の旅人」を発表をし歓声を浴び、キルギスの情報文化大臣から感謝状が贈られた。