フランス領 ニューカレドニア ウベア島とは
- 2008年3月25日(火) 12:46 JST
- 投稿者: tetujin60
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2024年12月22日(日) 11:03 JST
ウインドサーフィンに見とれる小鉄
ウインドサーフィンを見学する観光客
イル・デ・パンを描いたピローグと海
イル・デ・パン
天国に一番近い島 ウベア島
アンスバタのシトロン湾
ニューカレドニア・アンスバタ
ホテル カサ・デ・ソル
ホテルの16Fの部屋
アンスバタのの海
ウベ島の海
のんびりとウベアの海を眺める島民
ウベア島の海
空からのニューカレドニア
メラネシアとはギリシャ語で
「黒い島」の意味
フランス領のニューカレドニアは
二つの文化が融合している
島が黒いのではなく
そこに住む人達の肌の色にちなんでいる
私も一週間を過ぎた頃から
メラネシア色に近づいてきた。
2月1日~2日にヌメアに直撃の情報
宿泊客も心配気な表情で
フロント前に集まっている
大型台風はフィジーで死者6人の犠牲者
こんな時はジタバタしても始まらない
自然の成り行きを見守るしかない
強風はウインドサーファにとって恵みの風
海上を猛スピードで滑るサーファ達
ビーチで心地よい風を受けながら
腰を上げようとしない私達
日本では(2月11日)大雪情報が入る
最上階(16F)のホテル「カサ・デ・ソル」は
シトロン湾に面しロケーション抜群
落陽に海が輝きを増し
地ビール片手に優雅なひと時を楽しむ
明日からウベア島の旅が始まる
期待に胸を膨らませていると
現地エージェントから連絡が入り
フィジーで大型サイクロン(台風)が発生
進路はニューカレドニアにゆっくりと向かっている
前評判のフレンチレストランは
量だけが目立ち味は驚くほどでもない
スーパーの棚に並ぶフランスパンにも
色々な味がある
私の手が迎えに来るのを待っていたのは
ナチュラルの細身のパン
ランチをホテルのテラスで頂く味は格別
バターもないがハムの塩味が
舌の味覚を深めてくれる。
メラネシアのプチパリ(ヌメア)は
フランス語が飛び交い
アンスバタにあるシトロン湾は
波静かで洒落たブティクやレストランが並ぶ
町を歩くと知らない人でも
「ボンジュ―ル」「ボンジュール」と
挨拶が返ってくる
フランスパンのような形をした島
南太平洋とロイヤルティ諸島に浮かぶ
グランドテール島(首都ヌメア)
ヌメアから飛行機で40分
空から見ると三日月の形をしてい
「天国に一番近い島」
と呼ばれているウベア島
は新婚さんの憧れの島となっている
ロイヤリティ諸島の中から
ウベア島(天国に一番近い島)と
イル・デ・パン島(海の宝石)の
二つの島を選んだ。
小説「天国に一番近い島」を
読んだ記憶は少しあるのだが
それほど興味がある島でもなかった
この島では何もする事が無い……の
一言で行こうと決断した
どんな出逢いがあるのかを楽しみに……
プロローグ
日差しはとても強い
ここをクリックすると水族館のスライドショー
ホテルの部屋から望むアンスバタの夕暮れ
ニッケルを含んだ土壌
ビーチではトップレスに目のやり場に困る
強風のためシャーワも風で飛ぶ
ビーチで遊ぶ子供
アンスバタのウインドサーフィン
チケットの半券
水族館の入り口
アンスバタの水族館
朝市の野菜売り場
もうひとつのおすすめポイントは
ウインドサーフィン見学
強い風が吹いる日は多くのサーファが集まってくる
赤・白・青・黄…とサーフィンの花が咲いている
今日もマッチョなヌメアっこが
サーフィンに夢中
町のいたる所で日本語を見かけるのは
戦前に多くの日本人がニッケルの採掘の為
ニューカレドニアに移住した
二度目の来館
何しろ買い物には全く興味が無い二人
昨日のチケットの半券を見せて交渉すると
ニコッと笑みを浮かべ入場無料
「おおきに!タダですワ」
勝手知った見所ポイントの撮影に大成功
これで孫の土産話も出来た
サンゴ礁にナポレオンフィシュ
珍しい白エイ等に子供のようにはしゃぐ小鉄
何時間見ていても「
飽きが来ない水族館」は超おすすめ所
ホテルの前にある「ヌメア水族館」
(入場料1000フラン1400円)
何気なしに覗いたのに「わぁ~これは凄いわ」と
驚きの声を上げた
世界的に有名なノーチラス(オーム貝)が
泳いでいるとは知りまへんでした。
化石のアンモナイトは見た事はあるが
丸い水槽に泳ぐ姿に暫くは釘付けにされた。
かなり長時間、居たのだが
肝心のカメラも持って来なかったので
明日もう一度出直す事にした
離島への移動の前に
アンスバタ(グランドテール島)で準備を整えた
ヌメア市内のマルシェ(市場)が
島民の台所をまかなっている
大型スーパーより安くてうまい
鮮魚や肉類・野菜類が売られている
特に朝、水揚げされた海老は
甘くてとろけるように旨い
毎日の買出しは私の日課となり散歩を兼ねて
30分の道のりを大いに楽しんだ
長旅の為体力の消耗を考え帰りはいつもタクシー。
(老化現象?)
採掘したニッケルの
大半は日本へと
輸出されているのだが、
自然破壊が進み
これ以上の開発は
賛否両論である。
アンスバタ
ウベア島
カラフルな教会に黒い肌が良く似合う
島民は皆、旧知の隣人のような
暖かさで接してくれる
「海の宝石」と呼ばれている島
静かでのんびりとしている島の空気に
溶け込み何もせずに時が過ぎていく
台風の進路からそれて飛行機
(50人乗り)は
予定通りウベア空港へ
空から見るウベアの海の色は
世界で二番目に感動した
「エッ!一番は?」
「キリバスのクリスマス島」ですワ
ニューカレドニアの北端に位置し
赤道にも近いこともありヌメアより暑い
パウダー状の白砂は
顔にペインティングできるぐらい細かくて白い
海の色は太陽の光を受け刻一刻と変化していく
まさに「天国に一番近い島」
神が舞い降りるにふさわしい島である
空と海と白砂 それ以外に何も無い
ホテルのアクティビティーも何も無い
ヨットもカヌーも…水平線まで海と空
「釣りは出来ますか?」「NO」、
ホテル所有の船も無い
ただのんびりと自然と共に
過ごすのがウベア流
農業をするでもなく
漁業をするのでもない
何もせずに過ぎていく一日
神さまがくれた天国の島であるが
私の年齢もぼちぼち天国に近づいてきている
貧乏性な私たちは何もせずにはおられない
さっそく島内へと出かけた
ガイドブックにも無いのが
ウベア島の独立戦争時のモニュメント
(1988年)
島は3人の大酋長で治められている
フランス政府との戦いに敗れはしたが
のんびりと暮す生き方も悪くは無い
今日の平和は19人の犠牲者を
出していることなど知る由もない
北の道路端に祭られている慰霊塔を
見て島の歴史に胸が痛む
翌年の1989年に独立戦争の
リーダー「チバウ」までも処刑されている
この島だけは
フランス政府の法律も及ばない
島独自の法律が支配しているらしい
飛行機も飛んで来ない事も日常茶飯事
ストライキも時々あるとか……
10年前まではウベア島とムリ島であったが
やっとコンクリートの橋で繋がれた
ムリ橋から見るレキン湾の砂浜は限りなく
白いビーチと輝くようなブルーの海
新婚さんの憧れの砂浜は
将来を語り白砂に指で描いた♡マーク
私たちは唯眺めているだけでごちそうさん
島を縦貫する一本道の舗装道路が
南北に続く
日曜日は着飾って島民は教会に集う
ウベア空港に到着する・エアーカレドニア
ウベア空港荷物は左側から出てくる
パウダー状の白砂
砂を丸めて遊ぶ子ら
頭の上に乗せても崩れない砂
ムリ橋の下のビーチで泳ぐ島の子供
島民の家屋
村のレストラン
ホテルのテラスで読書にふける小鉄
19人の慰霊塔
犠牲者のメモリアルボード
10年前に繋がったウベア島とムリ島
ウベア島で一番のビーチ
光によって色が変わる
白砂と海の色のコントラストはため息がつく
日曜日は教会へ仲良く記念撮影する小鉄(右)
南洋杉に囲まれたムリ島のカラフルな教会
教会の内部
ムリ島の教会
急流で泳ぐ子供
投網で魚を獲る親子
今夜は最高や!
全員上陸し船を沖に繋ぐのに30分
暗闇で上陸
サラサ ハタ
船頭の件・船のオーナーのカミール
トローリング開始
この小さなボートで・・・
昼間からテンションが上がる二人
ランチの後は昼寝の筆者
ランチの焼き鳥をご馳走になる
村でバッタリ和島・カミール・筆者
和島氏の愛用の竿
ホテル・パラディ・ドウベアのレストラン
ウベア・パンチ
ウベア・グリーン
知人の和島宅
海上には一艘のボートも見えない
魚の勉強
ボチボチ腕も疲れてきた
「帰りましょうか?」
納竿は午後9時30分 大満足の釣果
出迎えのライトを頼りに砂浜に着岸
大型ライトでなければ足元さえ見えない
波の引くタイミングを計って上陸
本日の釣果「大物11匹 中物25匹
小物10匹46匹」サンゴ2個
島めぐりの釣大会ではウベアがNO1
すっかり辺り一面は暗闇の世界
魚を釣るたびに懐中電灯がなければ
魚を外すことも出来ない
島の明かりが遠くにポツンと見える
暫くは竿を置いて満天の星を眺める
「天の川」が降るように輝く
南半球ではこの時期には月が見えない
ボートの上で星空ウォティングの
至福のひと時……
音ひとつしない海上
星明りだけでも結構目が慣れてくる
「夜空よ今夜も有難う」チョット古いなぁ
次々と釣果は上がる
和島さんはいわしの一匹掛けの大物狙い
「そんなデッカイの来るんかいなと半信半疑」
竿先が大きく引き込まれた こりゃ大物だ
見ていても強い引きが解る
満身の力を込めて…赤ハタの2k超
「今夜の刺身はこれやナ…」
いつの間にか
大型クーラーボックスは満杯状態
クーラーボックスに
腰をかけている小鉄(女房)は
釣れる度に腰を上げる
こりゃデッカイ“ヤツ”やで
「プツンと糸が切れ魚の勝ち」
糸と仕掛けは海の藻屑と消えていった
残念無念…… 太いラインを和島さんから拝借
水深20~30m 碇も下ろさず流し釣
船頭は静かに一匹・二匹と吊り上げている
それも3k級の大物
「来た~ツ」結構な引きである
ビビッと来るこの感触がたまらん
30cm級のフエフキ鯛
早速、トローリングの仕掛けを流す
当たりはなし 今度はボトムフィシング
餌は5cmぐらいのイカの切り身
「チョット大きいのんと違う」
こんなデッカイ餌を食う魚おりまんのんかいな?
途端に私の竿にヒット 強烈な引き
グッグッと引き込まれる、
4時過ぎに愛用の竿「鉄」を持って訪れた
さぁ行きましょか?
私のテグスを見て少し細そうだから
置いていったら?…と和島氏
日本からわざわざ持参した自慢の竿
今まで糸を切られたことがない
モーターボートは4人乗り
出航は夕方の5時
群青色のラグーンを沖へと向かう
家にロースターがあるとこなんておまへんで!
おまけによく手入れが行き届き
ピカピカである
久しぶりに舌鼓みの音が
聞こえるぐらい良く食べてよく飲んだ
もうお腹ははちきれそう
満腹の後は昼寝で英気を養う
村を案内して貰っていると偶然、
島民から「今夜釣行く?」との誘い、
幸運にも私たちも同乗させてもらう事が出来た。
あくまでもプライベートである。
ランチは和島さん宅で焼鳥と地ビール
業務用のロースター付のキッチンなんて初めて……
海上を走るボートの姿はめったに見かけない
海は魚がいっぱいとの情報を得る
何とか魚釣りが出来ないものかと探してみる
ヌメアの知人の紹介で滞在先の
ホテル「パラディ・ド・ウベア」の和島氏を訪ねる
釣り好きな彼は、釣ブログのハンドルネーム
イラブチャー(アオブダイ)の名を持つ
自宅にはトローリング用や
大物仕掛けの竿がスタンバイしている
ハマフエフキ鯛 ヒメフエダイ アカマダラハタ
かます カモンハタ サラサハタ
トガリエビス ナミフエダイ
大漁と星空ウォティング
地ビール味はOK
地鶏の塩焼き
腹身のの塩焼き
ハタの刺身
ヒメフエダ鯛の煮付け
カモンハタのカルパッチョ
半分食べてから写真を撮るのを思い出した
読書家の彼はフランス語の翻訳もする
隣に住む子供
筆者と和島氏
煮付けは小振りの(ヒエフエダイ)
少し身は軟らかいが
愛情がたっぷり入った隠し味
調理師「嘉正」としては
料理人の心意気が伝わってくる。
もう結構ですと言いながら
次の一品に箸は伸びている
軍鶏(しゃも)のような身が凝縮された
鶏肉のオリーブ付け
時計は午前1時をはるかに回っている。
極上の料亭の二品目は
「白身の刺身」
旨さ格別の味はポン酢と
醤油が交代で舌を唸らせる
さてお次は「ハタの腹の部分」
切り身をロースターで塩焼きしながら食す
贅沢な旨さに大満足
焼き過ぎず火加減もちょうど良い
アツアツのヤツを口に入れるとジワーッと
口中に炙りの味わいが広がる
今夜の和島家の晩餐会は
夜の11時からスタート
和島さんの手作り料理
包丁さばきも慣れたもの
前菜はカモンハタのカルパッチョ
洒落た皿にきれいに盛られた
食欲をそそる一品
(オリーブオイルに数種類のハーブを混ぜ
たまり醤油につけ込む)
短時間の間に良くさばけたもんだ
料理愛好家の私としては感心する
南国の魚とは思えない身のしまり
鮮度は言うまでもなくとれとれだ
ビールとワインでほろ酔い加減
小鉄も満足の笑みを浮かべている
異国の島でこれほどまで歓待されたのは初めて……
おおきに!“ ごちそうさん”
満天の夜空の天の川が夜道を案内してくれる
いい気持ち 暗闇の中、すぐ隣のホテルへ
セキュリティーが飛んで来てチェックされる
バタンキューで翌朝まで……
晩 餐 会
ムリ橋から海を眺める和島さん
究極の平面・ロースターがしっかりと味を付けていく
小鉄と談笑する和島さん
子牛のリブステーキ
フエフキ鯛の姿焼き
残飯整理係・愛犬「メロ」
特別に輝く夕日
大型船が到着する桟橋
ホテルのフランス料理マグロと貝柱のソテー
バレーボールを楽しむ島民
毎日海で遊ぶ子供たち
脱皮した殻と脱皮したかに
魚釣りに連れて行ってくれたカミール
脱皮したカニを探すフィリップス
海水を真水に浄化する装置
北部にある青の洞窟
小鉄とガイドのフィリップ
いよいよ究極の平面スパゲティ
トマト風味に海老の頭から取った出汁に
ハーブと鶏肉の冷凍保存しているスープを
ロースターにかけ、固ゆでの平麺を入れると
「ハイ出来上がり」
万能ロースターは今夜も活躍
少しだけでいいでと言っておきながら…
食べること食べること
二品目は子牛のリブステーキ、
ロースターで焼き上げて肉汁を丁寧に拭き取る
脂身もなくパサパサかと思えば
肉に弾力があり噛むほどに贅沢な味が広がる
入口でお預けを食っている
愛犬「メロ」は残りの骨の部分を
バリバリと噛み砕いて旨そうに舌なめずり
三人の皿には食べ残しはなし
残飯処理係のメロは
決して人間の分野までは入ってこない
「ところで今夜もどうですか?」…と和島さん
ホテルには悪いが
フランス料理より格段の旨さの和島亭
お言葉に甘えて今夜もよろしく
最後の晩餐会のスタートは9時から
昨夜釣り上げたフエフキ鯛の姿焼き
身ははちきれんばかりに反り返り
シコシコとして箸が進む食べっぷり
町のミニスーパーで昨日の魚釣りのお礼に
船頭のカミール(53)へウイスキーをと…
和島さんにその旨を伝えると
「そりゃ池内さんが渡してあげた方がいい」
「ほな、今から行きましょか」
カミールは大変喜んでくれた
旅先での御礼は旅人の常識……
北の海岸では先週の台風の影響を受け
海岸の一部が削り取られている
潮が引けば歩いてロブスターや
カニを手摑みで獲れるそうだ
フィリップが脱皮したカニを
見つけて見せてくれた
自然の中で大きく育っていく過程……
今夜の夕日は一段と美しく感じる
茜色に染まる桟橋で釣に興じる島民
糸を動かすわけでもなく
只座って時を楽しんでいる風情
「のんびりとしていいなぁ~」
本日の最終便のヌメア行きは欠航
延泊の人の部屋の手配やら
航空券の事で大忙しの和島さん
団体が嫌いな私は我侭いっぱいの旅をする
スケジュールを決めず好きなところで
車をストップ ドライバー兼ガイドは
フィリップ(40)の案内で北の方の探索
島には19の村があり全ての村に教会がある
プロテスタントとカトリック教
パルメザンチーズを振り掛けるだけで
塩味とマッチ その味はgood・グー・グ~。
和島晩餐館に「星三ツ」★★★。
今夜も千鳥足…良く食べてよく飲んで
青い海と天の川、
天国に一番近い島の名の通りまさに天国
私の天国に一番近い島は何処の島だろうか?
究極の晩餐会-Ⅱ
ウ ベ ア の 海
ハイビスカス
グロリオサ
村の教 会
子供たちは毎日海で遊ぶ
酋長の集会所
天国に一番近い島を旅した思い出は、
人と出会いの数々、
海と星空の美しさに
魅せられたつれづれに…
…ありがとう
あの「天の川銀河」は
今も目に焼きついている
日本人三世は裸の山となった
ニッケル採掘跡地に
植林を始められている
これも日本の世界遺産
「石見銀山」(島根県)の
自然に優しい開発が、
江戸時代から続いているのを
参考にしたらしい
400年間も続いた開発の跡地には
しっかりと植林されているのは
日本の誇りに思う
世界大戦の戦前には多くの日本人
が地下資源のニッケルを目指し
ニューカレドニアに移住した
戦前戦後、日本は取引先の最多国である
地球温暖化を叫ばれている昨今
世界中は自然を取り戻そうと必死である
破壊された自然は元の姿に戻すのに
その年数以上掛かりそうだ
僅か20年前にフランス政府に
抵抗を試みたが
武力の前に朽ち果てた
19名の若き人々の命と引き換えに
平和が訪れている
メモリアル墓地は観光案内にも
知らされていないが
私の好奇心はその時の様子を聞きだした
翌年の1898年には
メラネシアンの島のリーダ
ー
「チバウ」(36)が平和の
犠牲になっている
小鉄の一言
昔読んだ「天国に一番近い島」森村 桂薯 を思い出した。海と空の一体感、白い砂浜がより一層美しさを強調する
この島では魚釣なんてまさか?と思っていた クーラーボックスいっぱいの大漁に驚いたが、頂いたその美味しさに二度驚いた。
メラネシア人の歴史と文化は
興味深いところがある
ニューカレドニアの首都ヌメアでは
フランス語を話しフランスパンを抱え
フランス文化との融合がある
フランス領であるが
島では島の文化がはびこっている。
私はそんな島が好きになった
子供たちは毎日のようにこの美しい海で過ごす
(12月20日~2月20日まで休校)
けがれなき子供たちの瞳は輝きが違う
のんびりと過ごす村人たち
決して贅沢は望まず
少しだけ人間らしい生活が出来たらいい
何処へ行っても日本語に出会う島も珍しい
島の飲料水は海水を浄化して販売している
(1ℓ‐85円)
たった一人の知人の紹介が旅を一変させてくれた
台風や飛行機の欠航、
旅はハプニングはいつもつきもの
もうひとつの旅は予期せぬ出会いの始まりである
ニューカレドニアは新婚さんだけの島かな…と
思っていたらとんでもない間違い
世界で二番目に美しい海と星空は
きっと神様からの贈り物だろう
(NO1はクリスマス島の海と
マダガスカル島の星空)
旅の鉄人 池内 嘉正
2008年2月2日~5日
エピローグ
::プロフィール
●1939年生・大阪出身。ゴルフジャーナリスト JGJA会員
●1966年 世界一周60日間 市場調査と営業に出張
ゴルフ歴62年
●2014年6月 右足人工股関節手術後エージシュートにチャレンジ
●2016年8月12日エージシュート達成 術後763日目
ゴルフ場 北海道 グレート旭川カントリー倶楽部
スコア74(37・37)・年齢76歳と327日・2024年現在に至る
●2014年8月より5月―10月旭川へ移住
●1997年会社経営を社員に継承 パームスプリングスへゴルフ留学 2ヶ月で挫折
●1999年に日本の島60島取材
●2000年日本の島再発見出版 日本作家協会会員
●2002年北極点踏破 日本旅のペンクラブ会員
日本旅行写真家協会正会員
●2003年―2009年 地球の島巡り70島踏破(旅は全て夫婦同伴)
●2009年12月16日 南極点踏破
●2010年 地球の島巡り出版
●2015年5月よりトリプルレジデンス継続中5月中〜10月中(東神楽居住)
1月中〜2月末(沖縄・石垣島居住)年末年始・春・秋(大阪現住所に居住)
●2022年 離島の食を求め ご島地グルメの取材開始(一島目 島根県隠岐の島)
●2023年 株式会社アイナック創業49年 取締役会長に再就任 生涯現役を目標
●2024年現在ご島地グルメ挑戦中(離島の旬の食を求め取材旅行)
一般社団法人 離島振興地方創生協会 賛助会員・NPO法人大阪USクラブ会員
現在、
フリーの経営カウンセラー。
2000年「哀愁フェリー」、2006年「佐渡航路」で日本有線大賞有線音楽賞を受賞。
2008年 悪性リンパ腫を発症。復帰後は悪性リンパ腫の啓蒙の「ライムグリーン・リボン」支援活動を始め、現在も続けている。2013年 キルギス共和国22周年独立記念コンサートで観客約5万人を前に「風の旅人」を発表をし歓声を浴び、キルギスの情報文化大臣から感謝状が贈られた。