ノルウェー ロフォーテン諸島とは
- 2011年7月 1日(金) 09:06 JST
- 投稿者: tetujin60
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2024年12月22日(日) 11:05 JST
アルタのアイスホテル
マイナス5℃で凍結するバラの花
すしBARで女房と記念撮影
愛想のいいシェフのポルトガル人
とろけるようなサーモン(トロムソ)
アルタの世界遺産のロックアート
カウトケイノからアルタまでの風景
アルタのアイスホテルの室内
アルタのアイスホテル
トナカイのそりに乗る筆者
雪のの牧場の中を疾走するレインディア―
雪のの牧場の中を疾走するレインディア―
道路を横切るレインディア―
ロフォーテン諸島のオーロラ
全てが氷で出来ている
ロマンチックな室内はマイナス5度である。
トナカイの毛皮の上で
寝袋に入って寝るアイスホテルは多分快適だろう?
幻想的な氷の彫刻にうっとり。
ブルーの光が一層のムードをかもし出ている。
期待していた世界遺産のロックアートは
雪の下で閉館とは情けない。
ホテルで見つけたトナカイが疾走する写真に
すぐさまその現場へと駆けつけた
雪を蹴散らして走る勇壮な姿に
膝まで雪に埋もれての撮影で
オーロラの代わりにトナカイで我慢するとした
カウトケイノからアルタまでの
2時間の雪景色に見とれている間に
目的地のアイスホテルに到着。
ヘルシンキからイバロまで1時間15分。
さらにフィンランドとノルウエーの
国境の橋を越えて5時間の陸路を走る。
1週間前の天気予報ではマイナス20℃と
覚悟を決めてやってきた
カウトケイノ(ノルウエー)は
気温-4度と快晴に恵まれてのスタート
オーロラ見物もままならずがっかりする小鉄(女房)
アルタからトロムソまで
1時間のフライトの旅は順調に運ぶ。
町の魚屋で聞いた「RA sushi」の
すしBARはなかなかの味で、
とろけるようなサーモンの脂ののりは
さすがノルウエー産と舌を唸らせる。
物価高のノルウエーでの値段も納得する。
シェフのポルトガル人の愛想もいい。
外は雪から雨に変わりやがてみぞれとなる。
風も加わり天候が怪しくなってきた。
案の定、翌朝の高速双胴船は欠航の上、
次便まで6時間の休憩をとる。
プロローグ
午前5時
海は荒れ気温-5℃
夜明け
セニア島の風景
デッカイパイとアイスクリーム
タラのムニエル身がしっかりとして味もグー
猛吹雪の中・・・
左の白い建物の二階がホテル
セニア島の氷結道路
早朝、三脚を担いで撮影に出かけたが、
吹き飛ばされるほどの強風と
あまりの寒さに指先の感覚も失
せ早々に退散する。
どうやら不吉な予感が当たりそうな気がする
真夜中の3時、
地震かと思うほどの建物の揺れを感じる。
暴風雪に荒れ狂う波の音、
唸るような風に建物自体が吹っ飛びそうだ。
「何やこれは!」
どちらからともなく目を覚ましていたが、
いつまでも続く風波の音を夢枕に
いつの間にかうとうととまどろんでいた
海岸に立つ木造家屋の2階は広々として快適で、
清潔な木の香りに空腹を覚えディナーとなる。
ノルウエーと言えばタラ、
鮮度抜群の真っ白い身が
ソースに絡まり旨味を凝縮してくれる。
日本の地図にもないセニア島の
二人だけの晩餐会はグー。
荒天候だが何とか出航し、
トロムソからセニア島のある
フィンズネス(1時間15分)へ到着する。
本土から橋を渡るとそこはセニア島。
前も見えないほどの猛吹雪の中、
アイスバーンをぶっ飛ばすこと1時間30分
景色を楽しむどころか
5時を過ぎるともう暗闇の世界である。
やっと上陸ができホテルへと向かう
いよいよロフーテン諸島に上陸
ニシンの酢漬け
朝食は珍しいものばかり
お腹はパンパン
ディナーの前菜
翌朝は快晴
帰り道は前も見えない猛吹雪
左の赤い建物が宿・右が100年前の領主の館
暴風雪の合間に見せるオーロラ
初めてのオーロラ撮影
港町の風景
宿泊所からの景観
宿泊所からの景観
愛犬のジョージ
10代目当主 クリスチャン・フレデリック
ノックの音で目が覚めたのは午前1時過ぎ、
ぼちぼち降船の準備をと船員が知らしてくれる。
ホテルにチヘックインできたのは午前3時、
まあこれぐらいで済んで良かったと
またもや高いびきに女房も驚いている。
翌朝、元来た道を逆戻り、
曇天から雨に変わりどす黒い海峡を進む
袖すれ合うのもなにかの縁、
しかし船の揺れはいっこうに
治まる気配が見えない
船内放送では次の停泊地も通過が
決定と淡々とした声が流れる。
BODOという港に午前2時に
到着予定が決定する。
もうじたばたしてもはじまらない
船室に帰って寝ることにする。
旅にハプニングはつきもの
目的地のスタムスンドまで
4時間、
暴風はますますひどくなる一方
いったいどないなるんやと、
映画のタイタニックの
沈没の映像が一瞬、頭をよぎる。
偶然、船上で知り合った
ツアーガイドの前田君の
通訳のお蔭で
適格な情報を得ることが出来て
助かった。
いよいよ待望のロフォーテン諸島の
玄関口の
スタムスンド(STAMUSUND)
へ沿岸急行船(12000トン)は進む。
次第に荒れだす不気味な雲行きに
不安そうな乗客の顔・顔・顔。
船の揺れは酷くなる一方で、
もう立っては歩けない。
女房は早くから覚悟を決めて
船室で横になっている
また雪が降ってくると車の中で待機し、
やがてルディの指差す方向にオーロラが舞う。
神秘な光に感嘆して、
マイナスの世界で痺れるような手の痛みも
忘れるほど撮影に熱が入る。
納得のいく撮影は出来無かったが
来年にはもう一度このハシュタを
訪れているだろう。
山中で待つこと30分、
雲の間から星が覗く。
「エッ!凄いな」こんな天気なのに
10時を過ぎた頃に一回目の
オーロラを目にする。
初めて見るオーロラもだが
彼の才能にはもっと驚く。
携帯用のインターネットは
山中で大いにその威力を発揮する。
気持ちが通じる人とは、
会話も弾みオーロラ談議に花が咲く。
夕食後はルディの車で
オーロラ撮影へと案内していただく。
外は横殴りの雪、
「今夜は無理やな」
「帰りましょうか」「いや大丈夫です」
インターネットでオーロラ情報を
チェックするルディは頼もしいナビゲータだ。
300年続く10代目の当主
クリスチャン・フレデリック
クルセン氏(40)が営む領主の館。
フルコースの夕食は食べきれないほどの
ボリュームと味に胃袋もびっくりするが、
並べてあるフォークナイフの多さも初めてだ
今夜は町で知り合ったオーロラの写真家、
ルディ(Rudie van deameer)氏を招待する。
船内はひっそりとして
旅の賑わいはどこにも見られない。
やっとの思いで目的地に到着、
迎えの玲子さん(ロフォーテン諸島在住23年)
「こんなことは島始まって以来の出来事」と
明日からの気象情報に笑みは消える。
2週間ぶりの朝日
ガイドの玲子さんの知人宅を訪ねて
オーの景観
島の子供たち
島の子供たち
オーのホテル
ロフーテン諸島・オーの景観
レイネの景観
女房・モッツンのマネージャーベンケイ・ガイドの玲子さん
デッカイタラの白子
タラ工場から買った捕れたてタラ
タラ工場
切り落とされたタラの頭
タラを干しているのは海外からの労働者
タラの干場
モスケネス島のレイネからオーへの景観は
世界中の写真家がほれ込むほどの美しさである
雪を被った赤いロルブー(漁師小屋)や
白い家と絵のようなフィヨルドが幾重にもつながり
撮影ポイントの数も多く
車はなかなか前に進まない。
港のタラ工場で特別に交渉して
水揚げされたばかりのタラ(7㎏)を手に入れる
物価の高いノルウエーでは
格安の200Nku(3000円)とは助かる。
タラ鍋は持参のポン酢で舌堤の音がする。
肝はバター焼き、白子は醤油焼き、
タラの子はあまりの大きさに
残った食材の方が多かった。
島で食すタラは繊細な日本のタラとはひと味違うが
ひと晩冷蔵庫で寝かせた白い身は
翌日の食卓に旨味を増して再登場した。
タラ魚は2月~4月中順まで、
正に今が最盛期であるが、
続く悪天候のため漁船は港で停泊したままである。
自然乾燥の干タラはロフォーテンの名物である。
日本のスケソウタラとはけた違いにでかい奴で、
食文化の違いで白子はカモメの餌になり
肝とタラコは食するがその大きさには閉口する。
ロフォーテン諸島は7つの島からできている
オストヴォーグ島(東ヴゥーグ)
ロフォーテン諸島最大の港町
ギム島。
ヴェストヴォーグ島(西ヴォーグ)スタムスンの港
フライスタッド島(ヌースフィヨルド)
モスケネス島(レイネ・オー)
ヴァ島
ロスト島(パフィンのコロニー)からなる
一日に10回も天候が変わる島の朝、
2週間ぶりの朝日の顔が眩しい。
陽光に輝く雪景色の夜明けに
透き通るような冷たい空気を胸いっぱい吸い込む。
「あ~ぁうまい」。
北大西洋の厳しい気候風土と
塵ひとつ無い白銀の世界にシャターの音を重ねる。
100年前のアールヌーヴォ様式の建物(オーレスンド
100年前のアールヌーヴォ様式の建物(オーレスンド
ニーグロス大聖堂の壁面
ニーグロス大聖堂
トロンハイム
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
ロフォーテン諸島モッツンドのロルブーの裏で
グリーンのカーテンが現れては消え
消えては現れるオーロラのブレイクに
広角レンズでも納めきれない
空一面に広がる光のアートの
幻想的な世界に引き込まれ
神秘的な芸術は地磁気緯度
65-70度に発生する
太陽と地球が生み出したオーロラに
身体中に電流が走ったように
夜空に釘づけにされていた
ロフォーテン諸島の滞在中4日間は
暴風雪,後の3日間は幸運にも快晴と
なりオーロラの乱舞に無我夢中で
シャッターを切る酷寒の
北極圏であった。
寒さなんて全く感じられないのは
南極での耐寒経験のお蔭と自負する
次から次へと現れる夜空に舞う
ファンタジックショーに
首が痛くなるほど満天の夜空を仰ぐ
女房も満足そうな驚きの声を上げ、
今夜もオーロラに乾杯
ノルウエーの町々の異なる美しさは
何度も同じ場所を訪れてはその美しさの虜になる
特に中世の首都として栄えたトロンハイムでは
川面に映った気高い昔の木造家屋の姿は
いつまでも目に焼き付いている
1000年の歴史を繰り返すニーグロス大聖堂は
幅50mに渡り厳荘な彫刻が刻まれていた
アールヌーヴォー様式のオーレスンドの街は
優雅な100年前の街並みを
散策するだけで心が満たされる思いだ
ロォフーテンのオーロラ
ベルゲンの魚市場・タラ
ベルゲンの魚市場
ベルゲンの魚市場
カウトケイノのレインディア
朝の太陽
アルタのアイスホテルで
トロンハイムの朝
セニア島
モッツンドのロルブー(漁師小屋)
カメラマンが憧れるレイネの景観
白い雪に白い建物
山羊のチーズ
アイスバーンは時々スリップ事故
モスケネス島のレイネの景色
ロフォーテン諸島のフィヨルド
ロフォーテン諸島のフィヨルド
トロンハイムのクリスチャン要塞
ロフォーテン諸島
台湾人
韓国人
Alesund
Sogne Fjord
Sogne Fjord
北極圏の冷たい水で育った魚介は
身が締まり舌の記憶に残っている
タラにアンコウ、サーモンにニシン、
ノルウエーの最高料理として知られている
干ダラのトマトソース煮込み、
バクラオBacalaoはもう一度食べたい味だ
珍しい山羊乳100%の茶色いチーズは
まったりとして私の好み、
キャラメルのような癖になるノルウエー独特の味だ
北のカウトケイノからベルゲンまでの旅。
時には嵐に見舞われ、
その後はオーロラの歓迎を受け
感動の日々を過ごす。
カウトケイノ、アルタ、セニア島、
ハシュタ、ロフォーテン諸島、
トロンハイム、オーレスンド、
ベルゲン、オスロまで
北海道から九州までの道程を
わずか一ケ月間で旅できたことに
心からタックTakk(ありがとう)
シーフードが溢れている街には寿司店が繁盛していた。
日本の寿司ではなく
世界の寿司として認知されている。
米はカリフォルニア米の「錦」、
ガリは中国、ワサビはイタリア、
茎わかめは台湾と
インターナショナルの世界の味となっている。
とろけるようなノルウエーサーモンの燻製は
ここでしか味わえない格別の逸品だ。
一ケ月間のノルウエーの旅は、
自然が作り出す北極圏の北の光に
身も心も印象に残る感動の連日であった。
夏は観光客で賑わう景勝地は予約で超満員。
世界一物価の高い国も
自然に恵まれた気候風土に快適な生活を送っている
味の記憶は「タラの舌」、
とろけるような味わいは
初めて食すゼラチンいっぱいの珍味だ。
世界屈指のフィヨルドの小さな町には
夏になると世界中から観光客が訪れる
治安のよい国を何不自由なく旅できたことに感謝
お世話になった出会いの人たちに
もう一度タック。(ありがとう)
2011年2月26日~3月22日
::プロフィール
●1939年生・大阪出身。ゴルフジャーナリスト JGJA会員
●1966年 世界一周60日間 市場調査と営業に出張
ゴルフ歴62年
●2014年6月 右足人工股関節手術後エージシュートにチャレンジ
●2016年8月12日エージシュート達成 術後763日目
ゴルフ場 北海道 グレート旭川カントリー倶楽部
スコア74(37・37)・年齢76歳と327日・2024年現在に至る
●2014年8月より5月―10月旭川へ移住
●1997年会社経営を社員に継承 パームスプリングスへゴルフ留学 2ヶ月で挫折
●1999年に日本の島60島取材
●2000年日本の島再発見出版 日本作家協会会員
●2002年北極点踏破 日本旅のペンクラブ会員
日本旅行写真家協会正会員
●2003年―2009年 地球の島巡り70島踏破(旅は全て夫婦同伴)
●2009年12月16日 南極点踏破
●2010年 地球の島巡り出版
●2015年5月よりトリプルレジデンス継続中5月中〜10月中(東神楽居住)
1月中〜2月末(沖縄・石垣島居住)年末年始・春・秋(大阪現住所に居住)
●2022年 離島の食を求め ご島地グルメの取材開始(一島目 島根県隠岐の島)
●2023年 株式会社アイナック創業49年 取締役会長に再就任 生涯現役を目標
●2024年現在ご島地グルメ挑戦中(離島の旬の食を求め取材旅行)
一般社団法人 離島振興地方創生協会 賛助会員・NPO法人大阪USクラブ会員
現在、
フリーの経営カウンセラー。
2000年「哀愁フェリー」、2006年「佐渡航路」で日本有線大賞有線音楽賞を受賞。
2008年 悪性リンパ腫を発症。復帰後は悪性リンパ腫の啓蒙の「ライムグリーン・リボン」支援活動を始め、現在も続けている。2013年 キルギス共和国22周年独立記念コンサートで観客約5万人を前に「風の旅人」を発表をし歓声を浴び、キルギスの情報文化大臣から感謝状が贈られた。